杉本佳久さん去る5月24日にニチメン電子情報本部を実質つくられたと申し上げても過言ではない杉本佳久さんが82歳を目前にして惜しくもお亡くなりになりました。
杉本さんは取締役になられて米国ニチメンのEVPとしてアメリカに赴任され常務取締役で帰国され電子情報本部長としてニチメンの経営全般に関わられ、その後専務取締役としてホンコンにも駐在され全アジア統括役員として活躍された立派な経営者でした。2004年4月にニチメンと日商岩井が合併した時、杉本さんが電子情報本部長時代につくられた電子情報本部傘下の4子会社が総額430憶円で本体ニチメン本体を救済する目的で旧日商岩井の情報関連子会社のITXに身売りをされた時はこれらの子会社にニチメン本体に一度も入らず大学卒後即この4子会社に出向して行った多くの若手社員や子会社プロパーの人たちのことを親身に心配しておられたことも、今となっては懐かしい思い出です。
当時電子情報本部長として示された3つの分野の大方針は情報IT分野、通信では携帯電話(ニチメンテレコム)、自動車ではFord向けカセットメカという今日でも十分通用する3大重点分野に電子情報本部の経営資源を集中するという先見の明でした。
この大方針のもとに前述の4子会社もつくられました。情報分野では現在でも話題になっている人工知能を扱う会社、また通信分野では携帯電話を販売するニチメンテレコムをつくられこの会社は今もITXと言う双日の子会社として存続し経営上で重要な位置を占めています。また自動車部門にあっては当時タナシン、シンワという世界1・2位のMaker とFord/ニチメンとの合弁によりブラジル、メキシコ、ポルトガル、カナダに製造子会社を設立し、1990年代の米国ニチメンの営業利益の大半を稼ぎだしました。
さらに1991年にはシカゴ支店の傘下にデトロイト、サンノセ、ボストン、アラバマ(ハンツビル)に4出張所の開設をご支援いただきました。このように杉本さんは今振り返ってみても本当に先見の明のあるスケールの大きな立派な先輩で且つ優れた経営者でもありました。
私は昭和37年にニチメンに入社し当時の大阪機械部電気機器課に配属されましたがその時杉本さんはすでに大阪機械部電機課の若手社員として船井電機とニチメンが当時米国占領下の沖縄で設立したトランジスターラジオを生産する船井軽機向け電子部品の船積みとそこで完成したトランジスターラジオを米国ニチメンに輸出する貿易業務を主として担当しておられ貿易実務のイロハを教えてもらいました。杉本さんは入社後3-4年して当時電機課の主たる取引先であったエルジン社、ハリクラフターなどとのOEM商いを主力としていた米国ニチメンシカゴ支店に電機担当の駐在員として渡米されました。1963年のことです。
その4年後、1967年4月に私自身も杉本さんの後任としてシカゴ駐在を命じられたとき、初めての海外駐在で緊張してシカゴのオヘア空港に降り立った時、一足先に同じく大阪電機課からシカゴに駐在しておられた田中長典さん(前述の元ニチメンテレコム社長)と二人で空港に迎えに来てくださり、そのままホテルにもチェックインせずに、ゴルフのプロショップに連れていかれゴルフクラブ一式を買わされた事が今も懐かしく思い出されます。其れから私は3度もシカゴ駐在になり合計15年もシカゴに駐在しました。最後の駐在でシカゴ支店長を務めた1990-1995年の間に杉本さんはNY駐在の米国ニチメンのEVPとして、何度もシカゴに来られゴルフや食事会に御一緒し親しくお付き合いをして頂いたこと、また帰国後は専務取締役全アジア統括役員として駐在しておられたホンコンにお邪魔し、ロイヤル香港カントリークラブにも連れて行っていただいた事等々、懐かしい思い出はつきません。ニチメンの専務取締役を御退任後はニチメン保険センター社長として3年ほどニチメンに籍を置いておらえましたが、保険業務のプロとしての資格まで取られた勉強家でもありました。
2004年ニチメンが日商岩井を吸収合併した時、もし杉本さんがまだ当時ニチメンの経営陣に参画しておられたとしたらこんな惨めな電子情報本部の解体と4子会社の身売りは無かっただろうとよく仲間内での飲み会で悲憤慷慨した事も多々ありました。
繰り返しになりますが、当時杉本さんが電子情報本長として設立された4子会社の中には今や立派な一部上場企業(テクマトリクスなど)となっており、そこに入社したニチメン出身の後輩が社長として経営者として活躍されている人たちも居られることを思うと杉本さんは亡くなられても、その遺志や遺訓は十分生かされていると言っても過言ではないと思います。杉本さんから薫陶を受けた後輩の一人として、心からの尊敬と哀悼の意を表するものであります。
あれほど楽しみにしておられた今年の5月20日のシカゴ会へのお誘いをしたとき体調悪化で欠席せざるを得ないことを非常に残念がっておられ皆様に宜しくと仰っていたことを昨日のように思い出します。心からご冥福をお祈りします。
1992年 ニューヨークの米国ニチメンにて
後列左より:杉本佳久さん、永山修一さん、町田智音さん、米田真一さん
前列左より:田淵弘通さん、田中義己さん、広田雄太郎さん
(1992年 ニューヨークの米国ニチメンにて)