海外駐在に出た時にはとんでもない英語の勘違いをしていることがあります。
私がはじめての海外赴任をしたのは1963年、28歳の時にマニラ駐在を命じられました。その時の前任者は宮崎孝さん。引継ぎの時に「これからアトネのところへ連れていくからな。」と言われて「アトネってなんですか。」と聞くと、「お前アトネも知らねぇのか。アトネって言ったら弁護士の事じゃねぇか。」「あぁ、アターニーのことですか。」「そんな気取った英語じゃ、ここじゃ通用しねぇよ。」一蹴されてしまいました。
当時、マニラでは阿多支店長の肝いりでニチメンと現地資本との合弁でSuper Industrial Corporationの工場建設が始まっておりました。私は一般商売のほかに、ここに対する鋼管製造用Hoop(帯鋼)の納入を担当することになっていました。
あるとき、工場長のDumlaoと話しているときにシンクが欲しいと言われました。
内地から出発するときに鉄鋼本部からステンレスのシンクを売ってくれと頼まれていたので、念のため台所用の流し台のことかどうか確かめてみました。ところが違うというのです。メタルの塊だとうのです。シンクなんて金属は聞いたことがないので、あれこれ質問しましたが分かりません。最後に苦し紛れに「元素記号」で言ってくれ、というとCnだといいます。
さて、Cuなら銅だがCnっていったいなんだろう。最後に相手が鋼管を鍍金するのに使うのだというのでやっとわかりました。SinkじゃなくてZinc[亜鉛]です。元素記号はCnじゃなくてZnです。フィリピン訛りの英語ではザジズゼゾはサシスセソになってしまうのです。
たとえば人名のGonzalezはゴンサレス、数字のZeroはセロです。
この時はシンクがジンクと分かるまでに結構時間を浪費してしまいました。
なお、このときのSuper Industrial Corporationは昭和48年からデンロコーポレーション(元日本電炉)
の関連会社になったようです。(ネット調べ)
そんな風に始まった駐在員生活でしたが3年経って帰国する頃には、すっかりフィリピン訛りにも慣れました。
私の後任も日本から到着、私は先輩ぶって彼をナイトクラブに連れ出しました。
二人は別々のテーブルでホステスさん相手の飲んでおりましたが、彼が「芳賀さん、この中に中華料理屋ありますか。女の子が中華料理を食いたいって言うのですよ。」はて、ナイトクラブに中華料理なんて似つかわしくありません。私が女性に直接話を聞いてみると
彼女たちは口ぐちにフライドチキンを注文してくれとねだっているのでした。彼にその話を伝えると「そうか、ライチーケン、ライチーケンと言うので、てっきりライチーケンという中華料理屋があるのかと思った」、とのこと。フライドチキンをライチーケンと発音する彼女らのことばを来々軒みたいな中華料理屋と勘違いしたようです。
1972年38歳の時にはヒューストン駐在を命じられました。先任は福冨さん。
ヒューストン到着の翌日、福冨さんからイミグレーションオフィスに行って外国人登録をしてくるように言われました。合同庁舎はヒューストンオフィスからウオーキングディスタンスです。
早速、ビルに到着しましたが、どちらへ行ったらよいか分かりません。案内係らしい黒人にイミグレーションの場所を訊くとGo down the hall to the right…みたいなことを言われてホールを右へ行きました。Downというのだから階段でもあるのかと思ったら階段はありません。うろうろしていると、目の前がイミグレーションオフィスでした。英語にはあまり意味がないdownがあると知りました。
なお、当時ヒューストンの店はJapan Cotton Co.を名乗っておりましたが、コットンの発音がなかなか難しい。福冨さんからは和裁の「カタン糸」のつもりでカタンと発音すれば通じやすいとご教示いただきました。
ただし、売り込み相手からは「何故、綿屋が鉄を売っているんだ。」と御馴染みの質問が帰ってきます。日本でも高炉メーカーに散々言われたセリフです。この話を商社仲間のKGの駐在員にしますと「Japan Cottonなら、まだいいですよ。KGの説明するのは大変ですよ。」と言われてしまいました。
何十年も前に、ある文芸雑誌の随筆欄に面白い話が載っていました。
ある会社の社長さんがアメリカへ出張。ビルのホールでエレベーターに乗ろうとすると、黒人のエレベーターボーイがにこやかに「旦那さん。」と言ったそうです。これは日本語が通じると思って「下へやってくれ。」と言うと下へ行ってくれました。
帰りに先ほどのエレベーターボーイとまた会ったら、やはり「旦那さん」という。今度へ「上へやってくれ。」と言ったのに下へ降りてしまった。
あとで分かったのは、「旦那さん」じゃなくて、Down, sir.だったらしいということです。
ヒューストン着任直後に歯が痛くなって、ダウンタウンの歯医者さんへ行ったことがあります。一通り治療を終えると、中年の歯医者さんは「あそこにいるGirlにお金を払って帰っていいよ。」と言います。治療室を見まわしましたが、girlなんかいません。皺だらけの御婆さん看護婦が一人いるだけです。歯医者さんに「Girlってどこにいるんですか。」と聞くと、御婆さんを見やりながら「そこにいるじゃなか。」と言います。
看護婦さんには随分失礼なことになってしまいましたが、girlは別に「若い女性」だけではなくて、男性に対する女性の意味だと知りました。鉄のユーザーの工場を見学すると、案内してくれた人は女工さんのことをgirlsと説明してくれましたね。
これも、噂ではニチメン随一の英語達人(自称 right English speaker)という人から聞いた話ですが、赴任直後アメリカ人から夫婦で日曜日の飯に招待されたそうです。「なにを着ていったらよいか。」と聞いたら「サンデー・ベストを着てこい。」と言われたそうです。
夫婦そろって一生懸命チョッキ(ヴェスト)を買いそろえて着て行ったら、ほかの客はチョッキなんか着ていなかった。Bestとvestの聞き違いで、ヒアリングの悪いことまで暴露してしまいました。Sunday best
とは晴れ着のことです。 ひょっとしたら彼の創作の話かもしれませんが・・・・・。
最後に、内地から送り込まれた英語の研修生の話です。
私はヒューストンみたいに南部訛りのひどいところで、英語の研修するのは反対でしたが無理やりに内地から押し込まれてしまいました。
ところが、この研修生、”Japan as number 1” 思想にすっかりかぶれてしまって、アメリカの風物や商品に全く関心を示しません。このときは私も二度目のヒューストンで単身赴任を強いられていましたので、この研修生君と同居することになりました。
スーパーへ買い物に行って、キャンベルスープなどを薦めても「スープはクノールじゃないとだめだ。」と言って受け付けません。
休日は終日寝ているところを無理やり起こして百貨店など案内してあげました。
彼は婚約中だったので、デパートの食器売り場などで「新婚生活用にアメリカの高級食器でも買ってみたら?」と水を向けてみました、「大体アメリカの物なんかいいものはなにもないですよ。この辺に並んでいる食器類だって、どうせみんな日本製でしょう。」
と言って、あるお皿を一枚手にとりました。
産地を確認しようと思って、裏返してみて底をみて彼はいいました。
「あれ!日本製じゃない。CHINAって書いてある。」
蛇足ですが、CHINAは陶器のことです。
きりがないので、この辺で失礼いたします。
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