「天に口無し、人を以て言わしむ」

= 遺跡は自らを語らぬが、古人の営み、歴史は遺跡の発掘によって語られる。

2018年3月9日、「2017年12月5日、国内最大級の埋蔵銭が発見された」と埼玉県埋蔵文化財調査事業団(埼玉県熊谷市船木台)が発表した。

要点は、

  1. 推定26万枚の銅銭が常滑焼の大甕(高さ約70cm、径約60cm)に内蔵されてた。
  2. 永楽通宝、元豊通宝、開元通宝など19種類。但し、甕底まで調査進んでおらず、銅銭以外のものが出てくる可能性ある。
  3. 発掘場所はJR蓮田駅〈宇都宮線)から東北東約1,5㌔に位置する蓮田市黒浜の「新井堀の内遺跡」で、岩附城主だった太田道灌公家臣の堀之内(館、砦)があった高台、県道建設工事を控えての発掘作業中に出現したもの。

以下、事業団係員の解説、

  1. 地下約2mの発掘箇所手前の過去の盗掘形跡のある穴が同時に2つ発見されており、今回の箇所の真上約20cmまで掘下げられた形跡もあり、もし当時、さらに30cm程度掘下げられていたら、今回の大発見はなかっただろうと!
    ⇒ 添付写真ご覧ください。

解説、

  1. 発掘地は、筆者(蓮田ボランティアガイドメンバー)が蓮田の歴史ウオークで幾度も多くの市民を案内していた場所で、市内黒浜台地の南端に位置してる。
  2. 狭い市内には確認済みだけで堀之内跡が5か所もあり、この辺りは当時の戦略上、重要な位置関係にあったと見られ、15世紀半ばの(享徳の乱:古河公方足利成氏vs山内上杉+太田道灌)以降戦国期の最前線だったところで、当地の豪族が負け戦 の際に財宝を埋め隠し再起を図ったであろうことが容易に想像できる。
  3. 当地は縄文前期の海進による奥東京湾の最奥部に位置し、市内を南北に貫く元荒川は名のごとく、江戸初期(1629年)の荒川瀬替え前の秩父を源流とする荒川本流である。川沿いの高台には縄文貝塚、縄文環濠集落跡、たたら製鉄痕跡、多くの寺院(戦国期の戦死者を供養、神社)が点在している。
    ⇒歴史を辿れば、坂上田村麻呂、源義家、太田道灌、石田三成(忍城攻め)ら、多くの武人達が闊歩したであろうとの伝説も残されております。

新聞、テレビ、市の広報等で大きく報じられ、市民は驚きともに「所有権は?価値は?現物はどこに?まだあるのでは?などなど」さまざまな噂が飛び交ったようだ。
ちなみに、文化遺産内で発掘されたものは全て国家の所有となる由。

思えば、2005年1月、今回の遺跡から数百m離れた同じ黒浜の用水路に一万円札が1500枚散乱、大騒ぎになった事あり、我らの蓮田はお金を捨て易く、また埋め隠し易いところなのかと何かしらワクワク感と期待感が交錯しております。
ここ掘れワンワンよろしく、畑、庭など密かに掘り起こしてる人がいるかも知れません。

大金を持て余し困ってる方、もちろん事件性の無い健全なお金に限りますが、当地に捨てに、或いは埋めに来られてはいかがでしょうか?ご案内しますよ!

下記のような大騒ぎ報道が思い出されます。

  • 1980年4月、大貫さんが銀座3丁目道路沿い植込みで1億円風呂敷包みを拾ったこと
  • 1989年4月、川崎市高津区の竹やぶで2.3億円入りカバンが捨てられていたこと
  • 銀座、新川あたりでビル工事の最中に大判小判などが見つかったこと
  • 大甕入りの中世銅銭

    大甕入りの中世銅銭

  • 蓋の上の土色に濃淡あり、濃い部分が盗掘痕跡、蓋との間の淡い部分を盗掘者が掘り進んでいたら、今回の発見はなかった。

    蓋の上の土色に濃淡あり、濃い部分が盗掘痕跡、蓋との間の淡い部分を盗掘者が掘り進んでいたら、今回の発見はなかった。

  • 円い蓋が今回の大甕手前の穴が盗掘の痕跡⇒この手前に同様の穴あり

    ・円い蓋が今回の大甕
    ・手前の穴が盗掘の痕跡
    ⇒この手前に同様の穴あり

以上