昨年2月、米寿を機に運転免許を返上しました。爾来何処に行くのも2本足の世界に戻りましたが改めて車をめぐる様々な思い出が甦る今日この頃です。
1961年11月初めての海外駐在員としてシカゴに赴任しました。単身赴任中の小森さんと同じマンションに住み、ダウンタウンの会社まで彼の愛車1959年型STUDBEKER LARKで通勤しましたが、零下20度近い日でも暖房が効かず震え上がりました。小森さんに文句言うと、中古なのでマニュアルも無く、我慢してくれとの事。ようやく春めいた3月頃、それでもあまり寒いので、キーボード近くのチョークを手あたり次第引張ると暖風が出るではありませんか。二人で大笑いしました。
土橋支店長から仕事の上でも、家族を呼び寄せた時にも必要なので、すぐに運転免許を取れと言われました。何度か実地教習を受け、免許試験の前日、支店長秘書のJUDYが“一度で受かりたいなら、マツチケースの中に10ドル紙幣を畳んで入れてダツシュボードの上に置きなさい”と入れ智恵を授けてくれました。試験官はさりげなくマツチを取りお陰で一発合格。然しそれが後から支店長に知れ、きつくしぼられました。
小森さんが家族呼び寄せたので、私用、社用の為柳瀬さんと400ドルずつ出し合い、中古のFORD GALAXIE 1962年型を購入しました。コンパクトカーが流行り出したので最後の大型車と言われましたが2ドアー、2カラー、ハードトツプの堂々たる車でした。所が二人で交互に運転してみると、走行中に窓ガラスがガタンと落ちるし、大型の後付けエアコンを使用するとバツテリーの容量不足で赤ランプが点滅する代物でした。
新参運転手にとり冬のシカゴは手荒い相手でした。11月頃初雪が降ると晴れても道路はアイスバーンになり3月まで溶けません。滑るとハンドルを取られるので、こまめに軽く何度もブレーキを踏むことを覚えました。
粉雪の場合は、一寸した坂でも滑り,後退することがあるのでギャーをLOWにして恐る恐る上りました。寒波襲来のニュースが入ると、エンジンの上に毛布をかけましたが、そんな時はハンドルのオイルも凍結して動かないので,ソロソロ前進して徐々に曲がりました。
降雪の情報が入つたので、行きつけのガソリンスタンドでスノータイヤに切り替えて,会社に行くため複数レーンのLAKE SHORE DRIVE に乗り入れたところ、どうも後輪がガタガタして気になるのでスピードを落としました。途端にタイヤが外れて車は見事に一回転。目を開けるとレーンのど真ん中で、後続の車が目の前に来てました。幸い通勤ラツシュ時だつたので皆ノロノロ運転で、追突される事も無く命拾いしました。
それからはタイヤ交換した時は、念のためハブキャツプを外してホイールナツトの締めを点検するようになりました。
家族を呼び寄せることとなり、コンシューマ レポート等で研究、出始めのインターメディエイトサイズのFORD FAIRLANE を大枚4,000ドル出して購入しましたが、家族4人で乗ると馬力不足で、坂道では後続車に追い抜かれる事しばしばでした。
1967年に帰国することになり、郊外のショツピングセンターで買い物して駐車場に行つた所車が見当たりません。警察等に届けましたが見つからないので保険で求償しました。所が帰国寸前になつて、遠い郊外で放置されてるのが見つかつた連絡ありましたが、すでに保険会社に所有権移転してるのでそのままとなりました。
色々な経験のお陰で、それからの国内、国外での運転を大過無く60年近く出来たことに繋がつたのではと改めて感謝してます。
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