先日、大学の同窓・同期生の会が東京であって、関西在住者の近況も聞きたいというので、私が出かけて行って話をした。妻の介護のために介護付き有料老人ホームに入って老々介護をしていること、介護ばかりしていると両方とも認知症になるので、私が日帰りで絶えず外出してさまざまな行事に参加していること、老人ホームの中にもさまざまな教室があって、絵画やアスレチックスや詩吟やカラオケの教室に属したこともあること、そのうち詩吟は先進的な教授法を採っていて、西洋音楽で用いる楽譜を使って学んだこと、中学・高校で習った漢詩の名作が次々に登場して楽しかったことなどを話し、詩吟の実演もし、漢詩の朗読もした。今はそれが発展して神戸の区役所での市民教室で、中国の初級の講座をうけ、中国語の再学習もしている。
こんな話を一時間あまりした後で、質疑応答の時間に移ったとたん、老人ホームについて詳しく聞きたいという質問が出て、話題がその方向に移ってしまった。学生時代を一緒に過ごした同窓生がみな、今やそんな歳になってしまったことを痛感した。
介老同穴というのは私の造語であって辞書にある言葉ではない。介護する老人と介護される老人が同じ家に住んでいるという老々介護の常態を表現したのにすぎない。私の場合は私が妻を介護しているが、妻が夫を介護している居住者はもっと多い。それよりも多いのはどちらかに先立たれて老人が一人で住んでいるケースである。独居老人というと寂しいが、老人ホームの場合は独居感が少なく、介護を受けていない老人も多いから、老々同棟といった感じである。入居者の家族や兄弟姉妹が訪ねてくるし、友人が訪ねてきて泊まったりするから、孤独感が少ない。初期費用や継続費用が高くつくが、両親を亡くして子がなくて夫婦だけの家族となった私にとって、夫婦での有料老人ホームへの入居が最善の選択であった。この選択を紹介してくれた社友の林喜久雄さんに感謝するゆえんである。
社友会の親睦ウォーキングやその他のさまざまな行事にでかけることができるようになったのも、そのおかげである。最近は大阪に出かけることが多くなった。大阪社友会の事務所・会長・会報の印刷所が変わって、今までもいつも出かけていた梅田に出かけることがさらに増えたからである。「浪速友あれ大阪が好き・住まいは神戸、妻食犬備」というのが私の現状の最短表現である。
なぜこんなにも大阪が好きなのか。米国と東京は世界と日本の悪代官みたいなものである。大阪(関西)はアジアと日本の文化観光首都を志向し、外に及ぼす悪性がない。歴史遺産・文化遺産は多いが人口は過密でない。外国人にも親しみやすい開放性が、日本人である私にはたいへん有難いといえる。
作為的な東京一極集中の弊害はきわめて大きい。東京への富の集中と同時に、国内とくに東京圏での過当競争と、貧富格差の拡大とをもたらした。富の再独占を夢みる「バブル世代」と、権力の自己集中を夢みる「ゆとりの教育」(依らしむべし知らしむべからず)世代とが社会の中枢を占める今の日本では、「自分を含め国民全体を幸せにしてくれる、国という装置を愛する」本来の愛国心(ロマン派の愛国心)ではなくて、「自分の富を最大にしてくれる、国という装置を愛する愛国心」がはびこる。これを改革するためには、今は芸術家と教育者の出番であるが、芸術家たちもまた過当競争にさらされている。(おわり)
「介老同穴」奮闘記
寄稿者名:山邑陽一
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