言葉の変化
カラチに駐在していた時、関西出身の支店長が金庫番だった私に何かの書類を渡して、金庫にしまっておいてくれと言った。暫くして、「さっきの書類,なおしておいてくれたか」と訊かれた。こちらは何の書類か読みもせずに金庫にしまったので、「直すって、どこを直すんですか」と驚いて聞き返した。支店長はちょっと考えてから笑いだし、関西での「なおす」は「しまう・かたづける」の意味だと教えてくれた。
日本人どうしの会話でもこんなことが起きる。まして翻訳の場合、誤訳が出るのは当然と言えよう。しかも言葉というものは世代とともに変化して行くから、ややこしくなる。
1960年に米国でThe Fantaticksと題する小劇場向きのミュージカルが開演され、その後史上最長の上演回数と最高の配当で有名になるが、この芝居の中にrapeという言葉が30回以上も頻出するコミカルな歌がある。ランダムハウス大辞典をみると、rapeの第一義として載っているのは”the act of seizing and carrying off by force”であり、現在使われている性犯罪を意味するrapeは二番目である。歌に出てくるのは、第一義の誘拐、略奪の意味だったのだが、誤解されがちだったので、原作者たちは”raid”と“abduction “を置き換え、更に1990年には歌詞を大幅に書き換えて、原版で歌うか、改訂版を使うか、上演者たちの判断に任せることにした。これなど、世代とともに言葉の使われ方が変わる典型的な例と言えよう。

名訳
では、誤訳のない翻訳というのはないのかと考えているうちに、古典の翻訳が思い浮かんだ。例えば、シェークスピアの『ハムレット』。明治の初期に坪内逍遥が訳したものを始め、数十回は翻訳されており、現在でも大型書店に行けば、6,7種類くらいの翻訳が手に入る。これだけ英文学者たちが挑戦してきたのだから、もう誤訳の余地はあるまい。第三幕第一場の”To be, or not to be: that is the question.”で始まるハムレットの独白を見てみよう。「世に在る、世に在らぬか、それが問題じゃ」「ながらうべきか、しかしまたながらうべきにあらざるか、これが思案のしどころだ」「生か死か・・・それが問題だ」「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」「生きるか死ぬか、そこが問題なのだ」「生きるのか、生きないのか、問題はそこだ」「生きてとどまるか、消えてなくなるか。それが問題だ」どの訳者もほかの訳者とは違った表現を見つけようと苦心惨憺している気配が伝わって来る。
この台詞の本邦初訳は幕末期に来日した英国の風刺漫画家のCharles Wirgmanの「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ」だという。
終幕のハムレットの死に際の最後の言葉、”The rest is silence.”を、逍遥は「余は静寂」と訳した。この訳文を初めて読んだとき、「ヨワセイジャク」と舞台で役者が言っても観客に意味が通じたのかなと疑問を持ったが、逍遥の時代に沙翁劇を観に行くような人はそれなりの教養と予備知識があったのだろう。この台詞の現代訳は「あとは、沈黙」と訳した人が3人、そのほか「あとはすべてただ沈黙」「もう、何も言わぬ」「あとはただ寂滅――」「もう何も言うことはない」となっている。
こう並べてみると、いずれも正訳だろうが、翻訳には誤訳のほかに名訳か悪訳という審美的な問題があり、訳者の文章感覚が問われることに気づく。
上田敏の『海潮音』は英・独・仏・伊の四か国語からの訳詩集で、序文に「高踏派の壮麗体を訳すに当りて、多く所謂七五調を基としたる詩形を用ゐた」と書かれている。四か国語を使いこなして翻訳するだけでもすごいのに、俳人・歌人のおそらく永遠の課題である七五調で訳してみせたとは、たいへんな文章感覚の持ち主だった。『海潮音』の訳詩に暗記しやすいのが多いのは七五調のおかげだったと思う。

『ハムレット』の副産物
第三幕第一場のハムレットの独白はオフィーリアが登場するまで33行続く。この33行の中の言葉を借りて題名にした小説が随分ある。グレアム・グリーンが26歳の時に書き、未熟で平板な失敗作と悟って絶版にした”The Name of Action”(従って現在は希書扱い)、オルダス・ハクスレーの“Mortal Coils”など純文学作品を始め、ミステリ小説ではロバート・B・パーカーの『夢を見るかも知れない』(“Perchance to Dream”),シリル・ヘアーの『ただひと突きの…』(”With a Bare Bodkin”)、暴虐な運命、理不尽な運命、やみくもな運命と訳されている”Outrageous fortune”は“途方もない財産“という意味にも取れるからミステリ小説にうってつけ言葉で、これを題名に使った作家が4人いる。また”To Die or Not to Die”のようにもじった題名も幾つかあり、ちょっと数えてみたら33行から21篇の題名が生まれている。
話がそれるが、この独白の中に人間が耐えねばならぬ重荷として、ハムレットは”The oppressor’s wrong”,”the law’s delay”,“the insolence of office”(「権力者の非行」「裁判のひきのばし」「役人どもの横柄さ」)を挙げて嘆いている。しかし、ハムレット自身が権力階級の王子様なのだから、彼が役所仕事の横柄さや裁判のずれを嘆くのはおかしいのではないか。ここだけはシェークスピアはハムレットが王子であるのを忘れて、自分自身の庶民の視点に立って筆が滑ったように見える。