勤務先商社(ニチメン)の本社がまだ大阪と東京にあったころ大森寮ができて、東京在住以外の社員も単身で東京に赴任でき、単身赴任手当ももらえるようになった。
 丹波篠山の民謡「デカンショ節」は、今では兵庫県民謡として知られる。デカンショとは出稼ぎということである。歌にあるような、出稼ぎで半年暮らせば後の半年は寝て暮らす優雅な出稼ぎは、今は望めないが(「花のお江戸で花見する」くらいはできる)、昔は江戸の金貨と大坂の銀貨の為替(両替)がうまく利用できたのであろう。私も商社在職中の後半は東京での出稼ぎで食い繋いだ。その後の大分での教職(日本文理大学教授・2000-2006)でも同じである。出稼ぎ先で私はたくさんの勉強をした。東京兵庫県人会でお会いしたアサヒビールの瀬戸社長(当時)と大分の三和酒類(「下町のナポレオン」・「いいちこ」の製造者)の西会長とには種々ご教示頂いた。三和酒類については、慶應義塾出版会の『ケース・メソッド入門』(2007)に私が寄稿した小論が掲載されている。

 大森寮にいて帰郷しない週末には、日帰りや一泊で近隣旅行やハイキングに出かけた。とりわけ思い出に残るのは、寮友数名と日帰りで行った箱根八里歩きで、箱根登山鉄道の終点から旧東海道を芦ノ湖畔まで歩き、笠富士を後に見ながら三島行バスの終点まで歩いて下山し、夜遅く大森寮に帰った。またある休日には、名古屋から大森寮に来ていた寮友の誘いで、午後の半日を一緒に寮近辺を散歩した。散歩の間じゅう、彼は私がそれまで知らなかった今西錦司という人が発見した「棲み分けの進化論」について詳しく話してくれた。ダーウィンの進化論の「環境に適合した種が生き残る」という結論に加え、自然淘汰の結果、環境に適合した一つの種が生き残る種として選択されるまでには、種どうしの間での長期に亙る「棲み分け」があるという(「強い種が生き残る」というのは、米国人が好んで用いるフェイク・セオリーであり、米国は今や氷河期時代の恐竜と同様に環境不適合種となった)。今西さんは著書『進化とはなにか』(講談社学術文庫1、1976)の中で人間社会の進化論にまで言及しているが、私なりに今西進化論を人間社会に応用してみた。

 いま世界では、全体主義・自由主義・民主主義・民主主義の退化形態(新自由主義=民主主義-平等-博愛)などさまざまな政治体制の国家・民族が棲み分けながら、生き残りの道を模索している。そんな中で過剰な政治の介入を許さない自由で公平な商業活動が、国内・国際の平等・博愛をもたらす。各国ごとに違う生存環境に適応する能力のある商品を多量に供給できるからである。平和な戦後の総合商社9-10社時代に、9-10社が業界内で棲み分けながら、日本と他の多くの国の生き残りに貢献した。政治を利用したり浮き利を追って世間から批判されたりした経営者たちは淘汰され、総合商社の数も減った。しかし多くの専門商社がこれを補って活躍している。今でも日本の自動車業界などでは、数社が棲み分けて競いつつ、各国の環境に適応した生存競争に強い商品を供給し続けている。
 少数企業による国内・国際の寡占・独占は、棲み分けによる環境適合競争の機会を奪い人類の滅亡につながる。戦争はもっとも短期かつ直接的に人類を滅亡させる。共存共栄の平和な棲み分けを持続すること、これだけが人類の生存を永続させる。今西進化論は、このことを私たちに教えてくれると思う。(2019.8.15、対外経済貿易大学研究院特坐教授)