ニチメン長月会が2年間の休止期間を経て完全解散となって更に2年、母体であるニチメンが発展的とは言え、消滅したことでOBの皆様の紐帯、あるいは帰属感が薄れて行くことに寂しさを感ずるとの声が高まってきておりました。他方、旧本部、部課、海外店その他種々の単位をベースにしたOB会で旧交を温める機会が随所で持たれており、それで十分だ、完全解散し、資産処分した長月会を今さら復活する意味がない、第一やると言っても会社が無くなった今、誰がどうやって会を立ち上げ、運営するのだ、無理な話だと言う声も多く聞かれたことも事実です。
 そのような気運のおり、OB会活動を継続する旧日商岩井とのバランスも考えた双日㈱のニチメン出身経営陣から初代会長になられた河西さんなど長老のもとにOB会を設立するなら相応のサポートを惜しまぬ、但し、会員による自主運営、自主財源を旨とし、会社は事務所FACILITIES’の無償提供を基本とし、mailing-service の類は子会社の有償提供との申し出が寄せられました。 OB側としては 、会設立への楽では無い道のりを予感しつつも渡りに船、今しかなろうと、その第一歩を踏み出した次第です。 2006年2月初旬のことです。
 言うまでも無く、この種の会は人で成り立つわけで最初の課題はいったい何人のOBが参加してくれるだろうかと言うことです。小さく始めて徐々に増やすことを考えればよいとの意見もありましたが、やはり最初からできるだけ漏れなく最大限のOBの皆さんに会設立の趣旨を徹底し参加を呼びかけるべしと、3月にアンケートの実施となったわけです。長月会名簿、その後の退職者把握、小単位OB会名簿、等々による掘りおこし作業により約1,400名の首都圏在住者のmailing listを作成しましたが、これには双日㈱人事総務部の助力と当時世話人西本定義氏ほかのIT力が大活躍しました。
 アンケートの結果は、約1,000名の回答者が賛意を示され、そのうち750名が会への参加意向を示されると言うencouragingなものでした。 わたしどもとしては、この750名の方々を潜在的会員候補として考え、世話人会全員で参加の確認と勧誘を続けてまいり、9月30日現在の会費納入会員数は570名に達しました。この過程で、名簿の整備が重要で、その任務を栗田久弥氏が担当してくれました。
 他方、運営の規範となる規約、事務所使用規則などについては大山弘雄氏、会計会則、予算、事業計画については橋本春彦氏が中心となり、前後6回にわたる世話人会の会議で喧々諤々の議論を経て、成立させております。
 2006年7月13日の設立総会は、高木亮一氏の周到な運営、会自作の名札、10名のボランティアの助けを借り混乱なく開催され、最長老濱田雄三大先輩、双日土橋社長、石原常務ほか来賓も含め230名が参列され、新しいニチメン東京社友会の設立を祝った次第です。

 会の事業計画の重要事項たる会報作成には、長谷川洋氏が、ホームページ関連は会員ボランティアの協力も得て、栗田久弥氏、倉持次雄氏が担当。 慶弔関係は世話人が得た情報を西村照男氏が集中して必要な処理をすることになりました。
会として自主運営のヨチヨチ歩きを手探りで始めたばかりですが、世話人会の11名のメンバー一同は、会長、副会長を支え、監事のご指導の下、会員の皆様の役に立つニチメン社友会に育って行く様、縁の下の力持ち役を務めてまいる所存ですので、新会員勧誘も含め、今後とも宜しくご協力賜るようお願い申し上げます。

“光陰矢のごとし”

 今、わたくしの目の前に社友会会報の創刊号が拡げられています。その見開きに「縁の下の力持ち11人衆」という表題で私が書いたニチメン社友会創立の経緯やその為に協力された人達のことが語られています。あれから早や15年近くが矢の如く流れ、幽明境を異にされた人もおられる一方、あとを引き継いだ人々の努力で、既に27号まで社友会会報が発行され続けていることは誠にうれしい限りです。
 2006年7月13日の設立総会にいたるまで双日側担当代表として力強くBACK-UPされた石原常務(当時)こそが現当会会長をされている石原さんで、長年にわたる当会への思い入れには頭が下がる思いです。
 「同じ釜のめしを食った仲間」と言う最近あまり聞かれなくなった言葉ですが、社友会を支えている会員皆さんの心の底流には、この思いがあると、今更ながら思う次第です。
今後とも、同じ釜のめしを食った仲間が集う場として、社友会が存在し続けることを祈念し、創刊号のわたくしの拙文を再録させていただく次第です。