コロナに虐められて約10か月、その間、コロナについてあれこれ考えた連れずれの思いをここに認めます。
筆者は、駐在員として21年間、中高生時代に5年間都合26年間ヨーロッパで生活しました。
このコロナ禍が欧米で猛威を振るいアジア、就中、極東アジアでは抑えられている、その理由は何辺にあるのか、ヨーロッパでの経験をもとに自分なりの考察結果が以下の通りです。

実は、この彼我の差を考えると、そこに、欧米において何かこの災禍を抑えられる鍵が潜んでいるのではないのかと自問自答してみました。わたくしのような意見や考え方や反応が世界の各国政府や感染症対策機構やWHOやマスコミから聞こえてこないことはなぜなのだろうという疑問があり、世界は依然として西欧諸国に牛耳られ極東アジアを誉めたり、見本とすることを良しとしない社会なのかと憤慨してもおります。
以下は個人的見解ですが、読者の皆さんはどう思われますか?

コロナ感染状況の彼我の差

10月31日現在の感染者及び死者数の実態:
感染者数 死者数
アメリカ 894万人 228千人
フランス 132万人 36千人
イギリス 96万人 46千人
日本 10万人弱 2千人弱

感染者数と死亡者の多い欧米3国と日本を比較した数字です。これら数字は、日経新聞(10月31日付けに基づきます)。なお、日経は当初より感染者数の多い30ヶ国を毎日発表していますが、現在、高位30ヶ国には中国、韓国、日本は含まれていません。人口が多いアジアが人口比率では圧倒的に感染者数も死亡者数も少ないのです。高位30ヶ国の中には、アジアでは、インド、パキスタン、バングラデシュ、フィリッピン、インドネシアが入っています。

これほどの差がなぜ出るのだろうか?また、それをなぜ欧米の国々は取りあげないのだろうか?
なぜ、WHOは、この歴然とした差をもって欧米の防止策に何か問題があったとして追及しないのだろうか?感染対策に何か役立つ処置などがこの実績から見いだせないのだろうか?世界中のマスコミは、なぜこの点の矛盾や問題点をとりあげないのだろうか?

そこで、わたくしはその原因は以下のような要因にあるのではと思い至っています。
欧米とアジア人のこれまでの自然への接し方:
彼らは、自然は克服できるもの、克服すべきものと捉えているが、アジアの人々は自然と共存し、自然を受け入れるものとして捉えているのではないでしょうか? 
過去の感染症、ペスト、コレラなどすべて欧米でワクチンを見つけ、克服してきました。従い、今回のコロナも自分たちは克服して見せると粋がっているのではないでしょうか?アジアでは、いち早く自然の威力を認知し、LOCK-OUTをいち早く実施し、中国、日本、韓国などはそれなりに感染を抑え、上記の実績に収めました。この自然に対する考え、受け止め方の違いが極東アジアと欧米の違いの第一の理由と思います。コロナという自然が生んだVIRUSを制圧することを優先したか、とりあえず防止対策が第一と考えたかの違いです。

欧米と日本の教育の違い:

欧米諸国の学校教育も家庭での教育でも、個の尊重が徹底されます。日本では、集が個より重んじられます。  わたくしの経験したフランスの中学校や高校の歴史授業の場合、教師がNAPOLEONはこのような人物で、このような実績を残したと言った

授業を行うのは日本と同じですが、教師は、「わたくし自身はこのようにNAPOLEONを評価する」と自分の意見、考えを教科書の教材をさらに発展させたコメントをします。さて、試験となるとNAPOLEONについて独自の意見を述べて、この人物の評価を述べないといくらNAPOLEONがこの戦争に勝った、いつ皇帝の座についただのNAPOLEONの偉業をいくら覚えていても評価の対象にならないが、日本では、記述式テストでないこともあり、年度やいくつの戦争に勝ったとかと言った実績の記憶を重んじるテストとなり、個の意見を求めないこともあり教育が記憶に重点を置いた

歴史授業となり、歴史から個々人が何かを得るというより、何があったかのみ記憶する結果となる。

それは、一方は,集の教育となり、他方は、個を高める教育となり、成人となった際に物事に立ち向かう態度や考えに彼我の差が生じる。この差が、感染症の場合、一方は、マスクをする、3密を避けるなど対策を皆で当然のことのように受け入れるが、他方は、種々様々な考えやマスクするしないは個人の自由だとか、個人が責任もって集まり飲み食いするのに政府からの規制は受けないと言った基本的な態度の違いとなり現れ、それが現在の感染者数や死亡者数の違いに反映しているのではと思います。

動物系と植物系の違い:

よく日本では、動物系女性、植物系男性と言うが、欧米諸国は押しなべて動物系であり、ハグ、キス、握手と言った触れ合いがごく普通であり、アジアでは、頭を下げたり、自分の手を合わせるタイ式挨拶が主でありハグやキスなどはないことが彼我の差の一因であろうが、それがすべではないと思います。

それよりも、個人主義が主要要因ではないでしょうか?
前述の歴史のテストの違いではありませんが、欧米人は運動会、学芸会、遠足を知らないし、学校教育の一環になっていませんが、アジアでは、小学校から高校までは実施され、スポーツや芸術や弁論など競い合い、仲間意識を持つ教育機会が詰まっています。欧米では、“集”としての行動を学ぶ機会がないため、国全体はおろか市や町や地方自治体の範囲でも”集“の行動はなかなかとれないし、政府や自治体からの指令や要望に対する反対意見が尊重される民衆の心理を生んでいます。

そうした心理が今のコロナの感染者数の実態に現れていると思えてなりません。
例えば、日本は1960-70年代町全体が空気汚染で、光化学やスモッグで悩まされたが国や自治体をはじめ日本全体での努力で克服し、少なくとも世界中で最も清潔な国になっていないでしょうか?これは、日本人一人一人が責任を感じゴミのポイ捨てを止め、だれもが家の周りを掃き清め、町の中に散るゴミを拾い集めているからではありませんか?
パリの街には、年間でたばこの吸い殻が2トンあるといわれ、あれだけ世界に誇れる詩情あふれる街にごみが散乱し、犬のふんはところ狭しと蒔かれていますが、これは、公衆衛生観念が欠けているだけでなく個々人の行動に他人が関心を示さず、“集”での行動がとれないからだと思っています。
ですから、日本では、例えば、今日現在公共乗り物にマスクなしで乗る人などまず見かけませんが、欧米ではマスクをすることが法令で定められ、違反者には罰金が掛けられるなど、個人の自由を過度に尊重してきたことのしっぺ返しではないでしょうか。
一方、日本では“集”の行動が当たりまえとなっていることが、感染症などの“集”で守りに入る方が好結果を生んでいるのではないだろうかと思ってしまいます。

結論というものは現在進行形の問題にはないのでしょうが、いち早くVACANCESでEU内の旅行を解禁したことで、目下第2波に襲われLOCK-OUTやそれに近い状態に
ある欧州は、もっと本質的な問題解決策をとらねば、第2波が収まっても、さらに3・4波が襲う懸念が大きいのにワクチン開発以外の期近の措置と処置をとらないのはまことに不思議な現象ですが、前述の諸事項は、歴史の積み重ねで出来あがったもの故、変えることは至難の技であり、無理とも思えますので、これからもこの差は埋まらないのでしょうが、世界にご迷惑をかけていることは間違いないので詫びぐらい言うか、それこそいち早くワクチン見つけてかけた迷惑の穴埋めをしてもらいたいものです。

UNQTE

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