キナバル山は、東マレーシア・サバ州の州都で木材本部南洋材部隊の事務所があったコタ・キナバル市東方にそびえる1000万年前に溶岩が固まった大きな岩の塊(写真参照)で、古来より地元カザサン族から“神の山”として崇められている。2000年には「世界自然遺産」に登録されています。
筆者にとり、3度の当地駐在、及び十数度の出張の際に見たお馴染みの山で、いつかは登ろうと思っていた憧れの山。古希を真近に控えた2015年、”体力的に登れるのは今だ!”と山仲間を誘って挑戦しました。
計画するに際し、橋口喜郎さんと細井衛さん(過去3度キナバル山に登頂、昭和39年入社)から貴重なアドバイスをいただきました。ありがとうございました。
参加者:
山爺3名、山女4名
筆者は計画立案・航空券・宿泊予約・リーダー・通訳・会計など
2015年5月23日:
成田発マレーシア航空直行便でKK(KOTA KINABALU)へ、20:20着
* コタキナバルは旧名を「ジェッセルトン」と言い、英領北ボルネオ時代の名残が市内各地に見られ、現在は観光地として売出中。南洋材部隊の初代サンダカン事務所(1960年代)に続き、1980年代半ばに事務所を設置、サバ州、サラワク州産木材商い(原木、製材、合板など)の前線基地でした。
5月24日・25日:
山小屋予約の確認(注、日本からオンライン予約済み)、熱帯初体験メンバーの為に気候慣らし、脚慣らしの為、市内ウオーキング。「双日フォレスト・プロダクツ社」表敬訪問。
5月26日:
コタキナバル市内からキナバル公園(標高1,563m)へ移動、入山の諸手続き(入山料納付、ガイドとの顔合わせほか)し、公園散策後、予約済みの登山者専用の公園内の小屋に宿泊。
5月27日:
早朝バスで約4キロ離れた標高1,867mの登山ゲートへ、07:40登山開始。約6キロ、高低差約1,400mのラバンラタ・ゲストハウス(標高3,272m)に13:40到着。約100名が泊まれる大型の山小屋(数棟)で、一般は「大部屋、雑魚寝、2段ベッド」だったが、我らは10名用個室2段ベッド、専用シャワー、専用トイレなど。食事も文句なし、納得です。
5月28日:
02:30ゲストハウス発(ヘッドランプ着用)、距離約2.5キロ、高低差約800m歩き、06:50山頂(ローズ・ピーク:4095m)着。 天候好し、ご来光と絶景を楽しむ。
- ラバンラタ・ゲストハウス
- 日の出直後のキナバル山の影
はるか彼方に南シナ海 - 山頂(ローズ・ピーク) 標高 4,095m
5月28日 :
08:50ゲストハウス帰着、遅めの朝食を済ませ、キナバル公園へ下山。登山証明書を取得し、迎えのチャーター・ミニバスで夕刻KK市内のホテルにチェックイン。
5月29日 :
終日フリー。シャングリラホテル(旧タンジョン・アル・ビーチホテル)で豪華ランチ、ビーチ散策後、市内散歩、ディナーはサンセットを眺めながら中華料理。
5月30日 :
07:40発マレーシア航空機で成田空港へ、解散。
※ 機中では、20年ぶりに筆者KK駐在時の現地雇員だったアレックス君(日本観光旅行で同機に搭乗)と遭遇するうれしいおまけまであった。
費用(ex34.30 円/M$ ) :
@147千円=往復航空券:@62,900円 + 市内ホテル代(3泊)
+山小屋(2泊、@34,400円)+食事交通費など実費
高山病対策:
➡ 標高が4,000M超なので「高山病」の心配があったが、呼吸は全く問題なしだった。
内地出発前に、同行メンバーから酸素ボンベ持参すべしかとの問題提起あり、各種文献を調べた結果、赤道付近は地球自転による遠心力が両極地帯に比べ大きく、重力が0.5%ほど小さくなる事、また熱帯特有の上昇気流で大気圏が膨らみ、この標高でも通常通リの呼吸と酸素摂取ができる由で、なるほどそうかと納得した次第。
➡ この重力の違いにより、赤道付近で測る体重は両極で測る体重より、0.5%ほど軽くなるそうです。即ち、80Kgの方で400クラムほど軽くなるのです。
追) 我らの下山の1週間後の2015年6月5日地震(M6.0)が発生。頂上付近の崩落、ロバの耳(Donkey’s Ears)の片耳も崩落、日本人一人を含む18人が死亡する大惨事となった。
※ 6月初頭に山頂付近で、白人達(男6名、女4名)が全裸写真を撮影していたことが発覚、”「神の山の精霊が怒り地震を起こした」と地元民が激怒” との報告を入手。日本的に言えば、「山の神の祟り」である。
⇨ 山好きの方へ :山中、山頂ではけっして「全裸」にならないようにしましょう。
但し、心身(人生旅・登山など)の癒し目的での”温泉入浴”はご存分にどうぞ!
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